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うたの魅力再発見!

歌謡曲名曲列伝!

皆さん!9月27日。昭和ヒット歌謡オンステージ楽しみですね!
今回は、なんと三田明さんなど昭和歌謡の旗手たちと共に、あの“純烈”さんも出演!時代を超えてのトップアーティストの共演。必見です!
さあその時までに昭和歌謡に思いを寄せて 今一度昭和歌謡の名曲を 再確認したいと思います。このコンサートシリーズ全回出場のタブレット純さんが2017年に発刊して書籍「素晴らしき昭和歌謡」から、名曲紹介の文章がありますので、ここでは「昭和歌謡名曲列伝」ということで、を特別にここで御紹介していきます。


引用:タブレット純 音楽の黄金時代 レコードガイド [素晴らしき昭和歌謡]
ラジオ日本「タブレット純 音楽黄金時代」初の書籍化
シンコーミュージックエンターテイメントより発売中。



歌謡曲 名曲列伝 vol,07
ちあきなおみ「四つのお願い」
この曲は、ちあきなおみさんの4枚目のシングルで、初のチャートイン入りで4位までいった、しかも4枚目のシングルでこう、偶然ですね。タイトルも「四つのお願い」・・・4という数字が、いくつも重なっております。

歌謡曲 名曲列伝 vol,06
テレサ・テン「つぐない」

以前、冬に聴きたい曲という特集の時に、オープニングで「木枯らしの二人」、そしてエンディングで「津軽海峡・冬景色」をかけたんですけれども、いずれも三木たかしさんの作曲ということで、三木たかしさん冬のメロディだな、冬の旋律を感じさせる作曲家の方だなと思いまして、そこから三木たかしさんの楽曲に自分の中で火がつきまして、これはぜひこの冬を乗り越えるために、三木たかしさんの曲をたくさんかけたいなと思って、今日は選ばせて頂きました。
それでは数ある名曲の中から、昭和59年の大ヒット曲、テレサ・テンさんで「つぐない」。名曲です。この歌は、作詞が荒木とよひささんです。テレサ・テンさんは、この今日が初のベストテン入りだったんですね。良く知られている昭和49年の「空港」は意外にもオリコンチャート的には29位という・・・大ヒットではなかったということです。けれどもこの「つぐない」は紛れもなく大ヒット、オリコン6位が最高ですが、累計150万枚を売上ています。
自分がマヒナスターズにいた時代に・・・この曲をマヒナで必ずレパートリーでやっておりまして、リーダーの和田弘さんが、スチールギターをかぶせてやっておられましたので、この曲を聴くと和田弘さんのスチールギターの音色がパーッとよみがえってくるようで、しみじみ聴き入っておりました。「つぐない」は作詞の荒木とよひささんが、当時フリオ・イグレシアス・フィーバーの影響下にあって、西城秀樹さんの「33才」という、フリオさんのナンバーで、訳詞がなかにし礼さん、これちょっと僕聴いたこと無いんですけれども・・・これをモチーフに完成した曲ということです。この「33才」という歌も、ぜひ聞いてみたいなと思っております。

歌謡曲 名曲列伝vol,05
城卓也「骨まで愛して」

昭和41年は、この曲を次に選んでみました、これは140万枚という大ヒットです。城卓也で「骨まで愛して」。
城卓也さんは、これ以前は菊地正夫さんっていう名前で「スタコイ東京」とかをリリースされていました。その菊地正夫さんが改名して再デビューを再デビューという形で、川内康範さんがプロデュースをされたということなんですね。そして作曲は城さんの実のお兄さまの、北原じゅんさんということで、それでこの大ヒットで、見事に低迷したところから、また一気にスターダムにのし上がったというところでは、翌年の水原弘さんが。やはり川内康範さん作詞の「君こそわが命」でカムバックした・・・・というのに似ておりますね。


歌謡曲 名曲列伝 vol,04
鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽の人よ」

その王道の、ロマンチカといえばこの大ヒット曲、「小樽の人よ」なのですが、以前、元となった「粉雪のラブレター」というのをかけて、それからもいろいろ調べて、更にオリジナルの前身曲は「電話で愛を」というタイトルで唄われていたということです。ギターの有沢さんが電話でしきりに長距離恋愛をしているさまを鶴岡雅義さんが見て、それで「逢いたい気持ちが ままならぬ」という詞とメロディが鶴岡さん自身に最初に浮かんでという、それが発端で「電話で愛を」という曲が作られた、そういうエピソードもあるそうです。


歌謡曲 名曲列伝 vol,03
内山田洋とクール・ファイブ「そして神戸」

ムードコーラスには欠かせない大メジャー、そんなクール・ファイブの中で僕が一番好きな「そして神戸」。数えると14枚目のシングルになるのかな。オリコン6位。30万枚という大ヒットです。この曲たしか同じレコード会社の野村将希さんが先にLPに入れていて「その曲いいじゃないか」とクール・ファイブが採り上げてシングルカットして、大ヒットしたんじゃなかったかな。その野村将希さんも「一度だけなら」という曲は、もともとクール・ファイブのLPに入っていて・・・・これが野村将希さんのデビュー曲に会うんじゃないかということで採り上げてデビュー曲になったと。お互い交換し合って、お互いのヒットが生まれたわけですね。歌い手によって、伝える世界観が合う合わないで、本当に曲の売上にも関わってくるんだなと・・・・間違っていたらすいません。


歌謡曲 名曲列伝 vol,02
美川憲一「柳瀬ブルース」

美川憲一さんで「柳瀬ブルース」、150万枚という大ヒットです。この曲は作詞作曲が宇佐英雄さんという・・・・流しをしていた方が、もともと「伊豆長岡ブルース」というタイトルで、ご自身で唄っていたというもので、それをクラウンレコードのディレクターが目をつけて。青春歌謡路線が合わなかった美川憲一さんに、この曲をということで。最初美川さんは「あたしさあ、明るい性格だからやあよ」と言っていたそうです。断っていたけれども、こういう路線が当たって、この曲によって「ご当地ソング」という言葉も、当時の宣伝担当の方が使って広まったと言われております。


歌謡曲 名曲列伝 vol,01
三田明「美しい十代」

初代御三家の橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦、そしてこの方が入ると四天王になるという三田明さん、昭和38年デビューの大ヒット曲「美しい十代」。
16歳の時の三田明さんの初々しい歌ということでこれは僕がマヒナスターズに在籍していた時に、ステージで必ずメドレーのなかで唄っていたんですけれど、マヒナと同じレコード会社のビクターでしたので、当時のことも思い出して懐かしい気が致しました・・・・・ちなみに和田弘さん、実は三田明さんをマヒナスターズのボーカルにスカウトしようとしていたという、これはあまり知られていない話だと思うんですけど、和田弘さんが実際僕に直接言っていたので間違いないかと思います。この後になると思うんですけれど、三田明さんが「数寄屋橋ブルース」とか「赤毛の女」とかのムード歌謡を唄うようになってだんだん歌唱力が熟練されていって、それでも和田弘さんはスカウトしたかったとおっしゃっていたんですけど・・・・それは実現しなかったということです。